なぜこんなに音・におい・相手の表情が“気になってしかたがない”のか?
あなたは、「神経質」でも、「忍耐力がない」わけでもありません。
敏感さは、愛すべき「能力」です。出版社紹介文より
イルセ・サン『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』
『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』の内容
HSP(Highly Sensitive Person=とても敏感な人)という言葉は最近聞かれるようになってきました。
これは病気ではなく、人類あるいは高等動物をとても敏感なタイプとタフなタイプの2つに分ける分類型で、アメリカの精神分析医で学者のエレイン・アーロンによって1996年に提唱されたものだそうです。
この本は自身がHSPであり、牧師で心理療法士でもある著者が、HSPの特徴や、どのようにすればHSPである人やその周囲の人がおたがいに過ごしやすくなるかについて、わかりやすく、優しい語り口で綴ったものです。日本語版は2016年10月初版。
巻頭にHSPチェックテストがあり、簡易に今の自分の傾向をつかむことができます。デンマークで新たに開発した自己診断テストだそうで、この本の刊行当時における最新のものなのかもしれません。
第1章ではHSPの心理学における評価とその影響、HSP提唱者のエレイン・アーロン他の研究について、また様々なHSPの能力、タイプが簡略にわかりやすくまとめられています。当てはまったり当てはまらなかったりすることが書いてあり、自分についての理解も自然と深まります。
第2章はHSPが抱えやすい心の問題を、自身や講座の参加者などの経験談も交えて丁寧に解説してあります。こんなふうに思ってきたのではありませんか?という問いかけが非常に的を射ていて、深い安心感を感じます。
第3章では敏感である自分がそうでない他の人々とどのようにすればうまく付き合えるかを、ふたたび自身や講座の参加者の体験談も例にとりながら提案しています。できそうなこともできなさそうなことも示されていますが、合わないと思うことはしなくてもいいと「はじめに」に書いてあるので、深刻になりすぎずに読むと良いと思います。
そして第4章では敏感な自分自身とのじょうずな付き合い方、つまり敏感であることの利点を楽しみ、生き生きと生きるための具体的なアイデアがいくつか示されています。どれも心地よさそうなことで、たしかにこれをすると穏やかな気力が湧いてきそうです。
巻末には第4章で示された『喜びや心身の健康をもたらすアイデア』がリストにしてあり、とても便利です。
HSP関連の書籍には初めて触れたので他との比較はできませんが、心理学系の本は研究者が研究論文を紹介したり、事例や相談者などを客観的に分析するものが多い印象があります。
その点本書は専門の研究も行っているHSPの当事者が書いているので、わかりやすい上に主観的な実感にあふれていて、このことで悩む人と同じ目線で世界を見ていることが伝わってきます。
「はじめに」の文章はほんとうに優しくて、リラックスしてこの本を読んでいいのだとほっとさせてくれますし、全体的に、これまで劣等感や孤独を感じてきた人々に対するたしかな共感と思いやりが感じられ、あたたかみのある提案書になっています。
HSPと診断を受けなくても、敏感さはほとんどの人にあるのではないかと思うので、いろいろな人の感じ方を知ったり、あるいはこの方面で自分自身や周囲の人が悩んでいることをどのように受け止め対処すればいいか等々のヒントとしても、大いに役立つ内容だと思います。
個人的には日本語版の本のタイトルは好きではありません。原題は『elsk dig selv』(自分を愛する)ですが、この方がずっと内容に合っていると思います。
敏感な自分
以下はかなり個人的な内容になります。
HSPチェックリスト
私自身は日常生活が営めないほどの不調となったことがないので、カウンセリングを受けたことはありません。かといってうまくやれてもおらず、時に胴体着陸しながら低空飛行を続けている感じです。致命的なこと(生きる気力を失うなど)が起こらないように、こどものころから気をつけて生きているという感じです。
そんな私は今日、このチェックリストで114/140点でした。満点を100とした時私は81点で、けっこう敏感なタイプと言えると思います。
これには静かに納得します。
こどものころから1日のうちのかなりの時間、一人でいる必要がありました。テレビの映像にショックを受けて10日以上落ち込むことがあります。特定の音に過敏に反応してひどくぐったりします。暑さ・寒さ・空腹・眠さを一度感じるとそれがずっと頭から離れません。
細かいことを気にせずに、おおらかに生きているタイプではないです。
でも、中学校の時に知ったサヴァン症候群やそれに関連している発達障害のことを調べたり、人格の異常についての本を読むうちに、スペクトラムという言葉がありますが、人間はいろいろな特徴が強かったり弱かったりして時には病気と位置付けられるけれども、そういう『傾向』自体は誰にでもあるんだろうという気持ちになりました。
だから、タフな人と敏感な人という分類をすれば自分はこっちだというのもすんなりと受け入れられます。
人にとっての自分
それほど特別とも思わないながらも敏感な傾向が強いために生きづらさがあることは事実なので、それをどうすればより楽しく、また周囲の人と調和して生きていくことができるのかのヒントとして、この本は大変参考になる内容でした。
長年自分のおかしな(と私が思っている)傾向をどうすればよいかかなり考えてきたので、すでに実行していることも書かれています。
いくつか要約すると、たとえば『周囲の人に自分にはひとりになる時間が必要であることを伝える』『他の社交的な人のようにはできないことがあることを自分で認める』『そのような自分を理解してくれる人と付き合う』などです。
この本では相手がどんな存在であろうとも長時間一緒にいることができない、ということが繰り返し出てきますが、さいわいにも私にはそれはあまりありません。親友や幼馴染といった自分が好きな相手なら、一日中でも一緒にいられます。
でも考えてみると、私はほとんどの友人と1対1でしか会いませんし、”一緒に過ごす”あいだ、別行動もよくとります。多人数の場合は奇数で集まり、自分が一人になれる時間を担保します。つまり『気が合う』し、『私を理解してくれている相手』だから長時間一緒に過ごせるとも言えるかもしれません。
しかしどちらにせよ、すべての人と長時間一緒に過ごせないという悩みは私にはないと一応言えることはさいわいです。
ただ一方で、他人から見たら『わがまま』で『付き合いにくい』『面倒臭い』人であることを自覚しながらも、自分が疲弊しない(生きる気力を失わない)ことを優先させて生きてきたので、すこしの劣等感や罪悪感は心のどこかにつねにあります。人が自分に望むことはそれほどないと知りつつも、多少はあることもまた事実だと思っているので。
『考えすぎ』『もっと気楽に』は何度言われたかわからない言葉で、それを聞くたびにまわりの人との隔たりについて考えました。
長年、『自分としては自分が好きだけど、人には自分を勧めることができない』と思ってきました。
この本も著者がHSPであるために主観的ですし、講座の参加者との関係においても共感とともに解釈しています。タフな人にとって敏感な人というのが実際にどんな存在であるのかは明確ではありません。
でも少し考えてみれば、こういう特質を持っている人が周囲にどう受け止められているのかは結局はケース・バイ・ケースであり、楽しく遊んでいる時に「ちょっとひとりで休んでくる」と言い出した相手をどう思うかは人それぞれだとわかります。
おそらく私はそういう場合の良い例を見たいのと同じくらいかそれ以上に、悪い例を見たかったのだろうとふと気づきました。
そこまで染み付いてしまった劣等感と、『それにより得られる利点』を手放す訓練をしないと、敏感だろうと鈍感だろうと、自分の現状をよくはできないのに。
この気づきが得られたことも、この本を読んで良かったと思う点です。
調和する方法の難しさ
この本の中には、自分のようではない周囲の人とどのように調和していくかの解決方法も書かれています。
自分ひとりですることーーたとえば先に挙げた、ひとりの時間が必要だと宣言する、自分の限界点を認める、理解してくれる人と付き合うーーは、私には簡単にできます。これらは最低限、自分を”ふつう”に保つためには必ずやらなければならないと自然に思いついたことであり、相手に自分の思惑をそれほど伝える必要もなく、ストレスを感じない方法だからです。
けれども本書の中の「『鈍感な人たち』とうまく付きあう方法7」と「9」は私にはとてもむずかしく感じられます。これがむずかしく思えるのは、敏感だからというよりも、その他の問題があるように自分では感じます。
それは両方ともあまりよく知らない他者との対話の進め方のコーチングです。
自分を解放し、信頼して相手に直接聞く、という最終段階が、とてつもなくむずかしく思えるのです。
このことは多くの人にとって困難で、すべての関係性で有効なわけでもないと筆者はやさしく綴っていますが、この壁の前で尻込みすれば人間関係が豊かになることはないともあり、自分でもわかっていたことではありますが、あらためてすこし落ち込んでしまいました。
ここ数年は特に、外に向かって自分を開くことの難しさを感じています。ついつい、安全圏で丸くなっていたいと考えてしまうのです。それは過敏なせいで疲れてしまうからというのもありますが、数年置きで起こった似たようなネガティブな出来事ふたつが、自分の中でまだ克服できていないせいだろうとわかっています。
テレビや映画、本の中の出来事にさえ、1週間も10日も影響される自分が、主体的に実感した出来事をたった数年でなんとかできるはずもなく。
これが自分の中でリセットされないと、何事も前に進んでいかないような気はしますが、焦りは禁物。すこしずつ、がんばります。
けれども一方で、もともと”おかしな自分”を恥じていたことも問題だったのかもしれないと気づきました。
私は自分にとっての自分は好きなんです、ほんとうに。物事を深く感じ取れている実感がありますし、ほんのすこしの情報でいろいろなことを想起できることは素敵で、楽しくワクワクするものです。いつまでもひとりで楽しく遊べます。
でも、人といる時の自分にはまったく自信がありません。家族や親友以外の人といると、(悪い意味で)変な奴だと思ってるだろうな、と気後れしてしまうので、ひとりでいるほうが楽だとつい思ってしまいます。気心の知れない人といると、いろいろと考えすぎて疲れて投げやりにもなります。そしてあとから落ち込むのです。
この本の中で敏感な人のたくさんの肯定すべき点が挙げられていて、あてはまっている部分もありますし、前から自覚していたこともあります。それでもなかなか肯定感にはつながりません。
このことにはいろいろな要因が絡んでくると思うのですが、第4章の内容がこの問題にすごく役立ちそうに思えました。これを読んで実践しながら、すこしずつ凝り固まったものをほぐしていくしかないんだろうなあと思っています。
まとめ
HSPというのはあくまでもひとつの類型で、人間のおよそ20%はこちらのタイプになるそうです。敏感な傾向は生まれ持ったもので終生なくなることはありませんが、その中でも程度の差があり、敏感でありながら社交的であったり、刺激を求めたりするタイプもあり、誰かがだれかと全く同じということはやはりあり得ません。どれが他より優れていうということでもないのでしょう。
ただ、自分の特性を知って良い面と悪い面を把握して生かすことで、全てをカバーできないまでも、わからないままよりは格段に生きやすくなると思っています。落ち込んでどうにもならない時や同じような間違いを続けてしまう時、対処方法がわかっていれば、すこしでも改善して心地よい状態に近づけることもできるはずだから。
著者の他の本やHSP提唱者のエレイン・アーロンの書籍にも目を通して、今後もより多角的に『敏感であること』あるいは『タフであること』を理解していきたいです。
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