当ブログでは本の紹介のためにアフィリエイト広告を利用しています。(詳しくはこちら)

ヘッセの詩集「それでも私の心は思っている」≫人生の支え

それでも私の心は思っている
ヘルマン・ヘッセ Hermann Hesse 片山敏彦・星野慎一=訳
『それでも私の心は思っている』 角川mini文庫(絶版)

詩というのは暗号のようなものだ、とずっと思っています。『詩人が発する特別な意味に対する受容体』を持っているひとだけが理解できる、個人的な感覚を伴った言葉のあつまり。

だから、わかるひとにはわかるけれど、わからないひとにはわからない。でも、わからなくても、人生の先の方ではわかるときがくるかもしれない。

わかるとき、胸の奥の方までまっすぐに照らされるような、そんな感覚があります。

だから、感想を、といっても、あなたに読んでもらわなければ、それを共有することもできないのかもしれないのですが。。。

ただ、本についての最初の記事は、この本にしたかったので、書いてます。

ヘルマン・ヘッセ「それでも私の心は思っている」

それでも私の心は思っている

これはすごく古い本です。

角川mini文庫というシリーズ。2000年まで刊行されていたそうです。

平成8年11月7日の初版本。・・・ですが、増刷はしなかったんじゃないかと思われます。取次に返品できない買い取りの本でしたので、たとえ書店で売り切れてしまっても、追加発注は怖い。そもそも展開しづらい豆本(この本は11.2×8.8cm)ですし、定価200円では、まあ、そうかも、と。何冊か同シリースを持っています。

その中で私はこのヘッセの詩集がとても好きで、ずっと読み返し続けています。57篇収められています。

私はもともと詩や短歌が好きで、教科書に載っている詩をきっかけにその詩人の詩集を読んだりしていました。だけど、何気なく手にとったこのヘッセの詩集は、それまで読んだ詩とは、私に対するお喋りの量がすごく違いました。

ヘッセの落ち着いた心から紡がれる無駄のない言葉の中に、自分の中にしか見たことのなかった思索や自然・神への目線があるのを見て、ヘッセという大文豪が自分の心のともだちだと感じました。

大好きなゲーテが

「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」

というようなことを語ったと言われていますが、ヘッセの詩も、私にとってはそういう感じを抱かせるものです。

ノーベル文学賞作家なのですが、ヘッセについては小説よりもこの詩集との出会いが先だったので、私の中では彼は詩人です。あとでいろいろ読んでみると、若い頃に詩人になるのでなければ何にもなりたくないとさえ思いつめていたんですね。

それから小説も読みましたが、小説であっても、冷涼な視線で見ている世界が研ぎ澄まされた言葉で描かれていて、滋味に溢れて、一文一文の意味の深さにひきこまれました。また個別に感想を書けたら、と思います。

全集のような別の本も買ったのですが、2段組だったのと手軽に読めるサイズじゃなかったので、けっきょくこの本だけを机上に置いて、折に触れて開いています。この本に選ばれている詩の完全さがまた好きなので。。。

特に好きなヘッセの詩

ヘルマン・ヘッセ 詩集の感想

以下に、いま目に止まったものへの感想を簡単にメモします。

『ヒルスアウのかなたで』

とても美しく、初々しく感じられる詩。匂いは最後まで残る記憶、と言われていますが、緑の息吹に揺り起こされた古い記憶の少女への想いが、まるでいま彼が少年であるかのように瑞々しい言葉で綴られます。恋を何に例えるか、初恋は・・・。この上なくやさしく美しい(それゆえ私にとっては男らしい)ヘッセの内面世界を感じます。

『孤独の夜』

夜空を見上げて、ひとり、同志へ向けて電波を飛ばしているような詩。聞こえますか、とヘッセが投げかける。それが自分に対するもののような気がするのです。

『しばしば』

あるときはこんな心境に達していると思うのですが、名声やパンを羨ましがることはないにしても、揺れて立っていられない心地がするほうが多いかもしれない。この詩を読むと、これが本来であり、こうなることはむずかしくないと感じられます。

『それでも私の心は思っている』

表題作。ヘッセもやっぱり心を揺らしていたのだ、それでも本来に立ち返り、自分の価値がそれなんだと確かめているんだ、と感じます。それは全く正しいと思う私です。

『わが愛する母に』

これを読むといつも涙が出てしまいます。いたいけな思慕がせつない。そしていまでも愛されていると感じることを描写するその言葉の純粋さに、いつか自分もこう感じるのだろうかと考えたりします。

『慰藉』

ものすごく根源的なことについての詩。大好きな福永武彦の『内なる世界』(『愛の試み』所収)の冒頭の文章を思い出す。私も全く同感だと思う”完全なしあわせ”を描いています。

『幸福』

ここに描かれていることは、豊かさ(あらゆる意味での)を極めた人の在り方に通じると思う。この境地につねにいられれば、ひとは満たされた気分でいられるだろうな、と想像します。

『雲』

木の生えていない草はらの登山道に、自分の場所と決めているくぼみがあります。そこにひとりで行って、お気に入りの音楽を聴いたり、ただぼんやりしながら景色を眺めている最初のときに、よくこういう気分になります。やがて無心になりますが。。

『花咲ける枝』

この詩は特別に好きです。いま、最後の2行の意味は、最初に思っていたものと変わりました。こういうことがあるから、何度も読み返させてくれる本はいいな、と思います。

『失われた響き』

この詩は前から好きだったのですが、いま、また特別に響いてきます。ときどき戻ってきてはいたこの感じが、、この詩のようにずっと定着しそうだから。。

『内部への道』

これは短くてすごく含蓄に富んだ詩です。この意味を考えるとき、頭の中がスースーします。こういう無限のことは有限な言葉で語ることが難しいと感じています。ヘッセはすごいです。(語彙力…

 

あまり詩は読まないという方もいらっしゃるでしょうけど、自分と波長の合った詩は生きる上で本当に助けになります。いろいろな詩人がいろいろな詩を書いているので、どれかひとつでも、読んでみてもらえたらなと思います。

 

この本は古いですが、同じ詩が同じ訳者で訳されている本はまだ容易に入手できますので、よかったら読んでみてください。

スポンサーリンク

コメント